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ある日のパレスホテル

久しぶりにたかさんの生い立ちを書くことになりますが、

なかなかブログアップが癖にならないわたくし、

先日の定休日にたかさんが、パレスホテルで一緒に働いていた方のところへ

ランチに行ったので、だいぶアップしてないことを思い出し、

本日になりました、

そのまえに、一緒に働いていた方げんさんは、

船橋の和食処「冠」で働いていらっしゃいます。

私たちがまだサラリーマンのころ、仕事帰りにどこか遅くまで営業している

和食のお店はないかと携帯でさがしていたら、

船橋で、お酒の種類も豊富で和食処となっていたので

早速お邪魔したのが、6,7年前

偶然にお会いしたのです。

それからは、たまにいくと昔話がでて、

(ここからがパレスホテルでの仕事の一部です)

魚の塩焼きを出すのに美味い塩がないからと

塩造りからはじめたり、

この商品にあう器がないと

器作りからと、妥協をゆるさない親方だったそうです。

とにかく仕込みに時間がかかるため

寝る暇がまずない!!

皇族のお方がお食事にお越しになる唯一のホテル、

食材は良いのをつかってたそうで、

今のたるやはの目利きは右に出る人はいないくらい

さすがたかさんとついつい言葉に出してしまうくらい。

プロに対して失礼ですが、

魚さばきはホント見事。

きれい、丁寧、はやい、

この三拍子がそろった人はなかなお目にかかれないでしょう。

いわしをさばく速さは、瞬きしてると終わってしまうくらい、

そこに、丁寧がはいっているので

水っぽくない、

またまたプロに対して失礼なことを・・・・。

次回もある日のパレスホテルの一日です。




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東京進出!!

しばらくぶりのタカさんの生い立ちです。

東京に行った先は、まず、和食のお店だそうです。

行った先には、自分より若い先輩・・・・。

もちろん、先に入った方が年は関係なく先輩です。

年下から、指図されることは何よりも耐えがたいことです。

最近でも使うのでしょうか、パシリという言葉。

は行った先々で、たかさんは、年下からパシリにされること三年。

相当つらかっかみたみたいで、わたしにはうん・・・・・。

細かくは言いませんでした。

しかし

ふと、昔の修業時代がおもいだされるのでしょうか?

天ぷらを揚げていると、

「昔は、誰も天ぷらの技術をおしえてはくれなかった。

でも、先輩は、天ぷら箸で、温度はこれくらいだと、自分の腕に箸先をちょんちょん。」

熱い!!!

わたしは、修行してないし

油の温度も手先で確認

そんんなの当たり前。

実際、油に手が・・・。

飛んだ油は熱いらしが、じかに入れると熱くないみたい、

どっちもやだし。

しかし、そうとう年下のパシリに使われるのは嫌だったみたいで、

先輩の後ろから技術を盗んでたみたいです。

鎌ヶ谷~、銀座

この銀座での修業がつらかったみたいです。

銀座では技術を盗んでは、次のお店、

そして次のお店へと3店舗修行して、

和食の最後、ホテルへのお勤めです。

ここで出会った料理長が最高のひとでした、

パレスホテル。

皇居の目の前にあるホテルです。

ここでの修業は半端ない!!!

もっともっとつらことと、

楽しいことが待ち受けてるのです、

それでは次回

本格的にお寿司屋さん

いよいよ本格的に始めるアルバイト、昔ユニオン通りにありました「すし金」さんです。
高校のころから始めていた、配達のアルバイト
最初はバイクから、そして免許をとり、車へと移り変わります。
一応、長男なので大学に言ってほしいと願っていたご両親。

大学は受けますが、どうしても板前になりたいたかさん、大学には行かず、すし金へ・・・
とうとう、そのまま就職です。
そのころは、バブル絶頂期

社員旅行はもちろん海外旅行のサイパン、
親方がパンチなので、すぐにパンチパーマにする。
もしかしたら、高校時代もぱんちかな?

配達は半端ないそうです、終わらない配達、かぎりない伝票の数、配達の日々が続きます。
そして、一人暮らしが始まり、
いよいよここで鮨の握りを教わります。

影練習が欠かせないたかさん、家に帰るともちろん握りの練習です。
お金がない時は、おしぼりで練習、お金があるときはもちろんお米を購入しての練習、

ここで、握り方はいろいろあるそうですが、捨てシャリ、という言葉がありまして、
おひつでまず、シャリをとり、そのまま握って、お客様におだしする、
その前に、シャリが多いと、おひつに少しシャリを戻す。
この行為が捨てシャリですが、それをするのはタブーなので
(素人にはわかりませんが、板前の間ではかっこが悪いのでしょうか)
影練習の毎日です。
当時の握りはもちろん、丸っこいです。
今は、東京で修業したのでまるっきり握りの大きさが違います。

ここで、ゴルフにも出会います。
バブル時代なので自分ではお金を出したことがないそうです、全部お客様持ち。
でも、その代り運転は絶対だそうです。
いろんなところへ連れて行ってもらい、しかも名門コース、レッスンプロにも教わったくらいなので、
かなり上手かったみたいですよ
すべて、自分ではお金をださないそうです、
お客様がだしてくださるそうです

だんだんと、お店を任されることが多くなってきたたかさん。
次へのステップ、和食への道へ進むのです。
次回は、いよいよ東京への進出です

20歳ころ~

アルバイトから始めた、お寿司屋さん。

ここでいろんな経験をするそうです、

それもそのはず、バブル絶頂期

今では考えられないことばかりです、

その前に、最近わかったことですが、

お客様で、ドラムをならってるというお方・・・

確かたかさんは、ギターかベースをやっていたとか、

ドラムは、足と手が別々に動くので私は尊敬しますよと・・・。

たかさんが私に言っていたのでお客様に説明すると。

実は、たかさん、小学生の時はアコーステイっクギターをやり、

その後、ベースで食べていこうと思ったくらい、バンドにのめりこんだ時期が、

えー


当初、プロに転向したたかさん、本当に歌手のバックバンドにつくつもりで


寿司屋にするか、ベースにするか相当悩んだ結果

寿司屋に就職

ここから社会荒波にもまれていくのであります。

バブルを経験した方

または、弾けた後を経験した方、

全く経験しない方

では、本当に大きく違うと思います。

次週は、バブルの絶頂期の

仕事の話になるかとおもいます。

高校生活(--〆)

高校生、船橋にある、二和高校。

ここからは、アルバイトに勤しむ高校生だったらしい。

もちろん、アルバイトは禁止

最初は、どのアルバイトをし始めたのは定かではありませんが、

まずは、「はなのひるま」さん。

馬込沢と、家の店の前をまっすぐに言った左側にありますが、

花屋さん。

ここのオーナーに、当時の事をお伺いしたところ、

覚えてないとのこと、

なにかその当時、大人しくもくもくと仕事をこなしてた、たかさん、

一緒にはたらいてた、方は、バラのとげでそうとう怪我をしたそうで、

そのひとは、とっても印象がのこってたそうですが、

たかさんは、まったくないとのこt、

年末年始は、ユニオン通りにある、「川島米店」さん。

灯油?お餅?当時は、自電車で配達をしていたそうです、

一番頑張っていたのは、船橋の駅前にあった、「八百屋」さん。

フェイスが出来る前に、駅前で、出店を開いていたやおやさんですが、

当時高校の、先生とばったり会っても、一生懸命働いてる姿を見て

何も、言われなかったそうです、

いまでもそうですが、 仕事が趣味のたかさん、

仕事をしている姿を見ると

奥さんの女将としては、ありがたくて

何も言えず

店の定休日を作ったのは、私の為といわれるくらい

休まないでも平気なので、少々、困惑してますが

感謝、感謝で日々すごしております。

そして、高校生活ですが、とっても悪な時代だったそうで、

成績は、下校気味、

部活も、社会人バスケに入ってたそうで、

このとき、年上の彼女もいそうで、学校には行っていたのか

行かない日々が多かったのか・・・・。

この後、大学に進学するか、就職するかの

問題が起きるそうです、

しかし、すし金というお寿司屋さんで、

アルバイトをしたたかさん、

ここで、人生のターニングポイントにあうのかな?

出前の、アルバイトをしながら、

一人暮らしを始めるわ、大人の仲間入りをし始めるたかさん、

これから、どんどんバブルを味わうことに


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